2009年03月23日

ひめゆりの塔〜光は遙か遠く

沖縄南部の交通の要、糸満ロータリーからバスで15分ほど。
この日最初の目的地【ひめゆりの塔】へ到着。

【ひめゆりの塔】の名前を知らない人はいないと思いますが、具体的にどんなものをイメージしていますか?
各地の戦跡同様、慰霊碑+資料館があるのだろうと思っていたのですが…

ひめゆりの塔・土産物店

バスを降りたその場所は、
道の両側に土産物店や観光客向けのレストランの建ち並ぶ場所でした。
近くにある駐車場には、見ている間にも次々に大型観光バスが発着しています。

静かにお参り+見学の出来る場所だと思っていたのですが…

なんだかなぁ。

まあ、僕も観光客の1人なわけで、この状況が不快だと思うのもアレなわけで…。
なんともいえない居心地の悪さを感じつつ、案内板に従って進んでいきます。

門を入るといくつかの碑や彫刻が並んでいます。

ひめゆりの塔・沖縄戦殉職医療人の碑

【沖縄戦殉職医療人の碑】

ひめゆりの塔・第三外科職員之碑

【第三外科職員之碑】

ひめゆりの塔・彫像

…これはなんの像だっけ??

〜〜

そのまま進んでいくと、団体客があつまってなにか説明を聞いている場所が。

ひめゆりの塔・病院壕跡1

ひときわ大きな碑と献花台。
どうやらここが【ひめゆりの塔】の中心地のようです。

ところで、【ひめゆりの塔】というからにはなにか塔状の建造物があるはずなのですが、
どれのことだかわかりますか?
ちゃんとこの写真の中に写っているのですが。








実は、右手前に写っている、

ひめゆりの塔・ひめゆりの塔

この小さな石碑が【ひめゆりの塔】そのものなのです。

奧にある大きなものは、もっと跡になって作られた慰霊碑です。



そして、中央にあるゴツゴツした岩は、
ひめゆり隊が立て籠もった『沖縄陸軍病院第三外科壕』跡。

ひめゆりの塔・病院壕跡2

覗き込んでみるとこんな感じ。

地下壕というので、那覇で見学した海軍壕のような人工的な物を想像していたのですが、
そこにあるのは地上にぱっくりと口を開けたガマ(石灰岩の自然洞窟)でした。
中は暗く、底まで見ることが出来ませんが、自然の物である以上は人工的に作られたトンネルに比べて環境が劣悪であることは明白です。

…想像していたよりもはるかに悲惨なものだったようです。


より詳しい内容を知るため、次は資料館へ。

〜〜

#資料館内は撮影禁止なので写真は一切ありません

まず最初の展示は、1930年代の沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生活。
授業や寮での生活の様子が写真で紹介されています。
この時点ではまだ明るさが残っています。

〜〜

次の展示は1945年3月。

#状況は一転。米軍が沖縄本島への上陸を開始し、
#生徒教職員240名が陸軍病院の看護要員として配属された後の様子です。

病院とは行っても山地に掘られたトンネル内に二段ベッドが並べられただけの粗末な物でした。壕跡から発掘された医療器具などが展示されています。これもおどろくほど粗末な物で、充分な治療は出来なかったのではないかと思われます。

また、生徒たちが病院壕へ持っていった品々もあります。
万年筆、下敷き、定期入れ、櫛…。結局ほとんど使うことができなかった品々。

#5月下旬になり、戦況の悪化に伴い陸軍病院は南部へ撤退。
#人工的なトンネルから、ガマ(自然洞窟)へと移動。

これがこのひめゆりの塔の場所です。

撤退に際し、自力で歩けない重傷者には毒薬が配られたといいます。生徒のうち2名も元の壕に取り残されました。残された生徒、友達を残して行かざるを得なかった生徒。
いったいどんな思いだったのか…。

#ガマでは、水汲みや食糧確保、伝令、死亡者の埋葬までが生徒の役目となり、
#たびたび壕の外の砲弾が飛び交う中へと出ていかなければならなくなりました。

〜〜

#そして次は、いよいよ米軍が間近に迫った1945年6月の状況。
#ひめゆり隊に『解散命令』が下されます。

これで自由の身!

…ではありませんでした。
すでに周囲は米軍にほぼ包囲された戦場で、軍は生徒たちと傷病兵を残して撤退。
米軍は日本軍が隠れていそうな洞窟などにはガス弾や火炎放射器などで徹底的に攻撃をかけていきます。それは米軍側のセオリーとしては当然なのですが、実際には壕の中には戦闘可能な兵士などほとんど残っていなかったのです。
解散命令後ほんの数日で、100名以上の学生が死亡。…3月から解散命令が出る直前までの3ヶ月間の死亡者は19名ということなので、いかにこの期間が悲惨な物であったか判ります。

ひめゆりの塔のあるガマ、『第三外科壕』では、ガス弾の投入により1日で80名が亡くなったそうです。

〜〜

ここまででも相当なショックを受けているところなのですが。

館内最大の展示室である第4展示室は、
死亡した生徒教職員全員の顔写真とプロフィール、死亡時の状況が展示されています。

他の内容なら斜め読みするところですが。

今回は全部読みました。

これはここまでの展示以上に心に刺さります。

生徒の年齢は、15〜19歳。
僕が今教えている子達とぴったり同じです。

犠牲者の中には教職員も数名含まれています。
こんな状況に落とされたとき、僕は生徒たちを励まし、守り続けることができるか…?
出来るわけがない。

たぶん僕は、当時の教職員どころか生徒たちと比べても劣っているような気がします。

〜〜

展示室の一角には、第三外科壕の実物大の模型が設置されています。
展示室側がガマの底で、入口の方を見上げるような格好になっています。

空調の効いた展示室の、安全だと判っている場所から覗くだけなのに、
はるかに上のガマの口の、なんと絶望的に遠く感じられることか…。

〜〜

広島・長崎の原爆関連資料館と並んで、
一度は訪れるべき場所だと思いました。

〜〜

ひめゆりの塔・献花台

ひめゆり隊慰霊塔と献花台。

この後、僕も入口前のスタンドで花を買って供えてきました。

〜〜

バスの時間を見ていなかったので移動はタクシー。
次は【平和祈念公園】です。

〜〜

【ひめゆりの塔】
沖縄県糸満市字伊原671-1
【糸満ロータリー】から82番/107番/108番で15分、【ひめゆりの塔前】下車
見学自由

【ひめゆりの塔平和祈念資料館】
http://www.himeyuri.or.jp/top.html
開館時間:9:00〜17:30(入館は17:00まで)
年中無休
入場料:大人300円/高校生200円/小中学生100円

posted by MAX CARTER at 09:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 史跡
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