2009年03月20日

旧海軍司令部壕

【奥武山公園】駅から海軍司令部壕入口までは、タクシーで600円ほどでした。
…って、東京の初乗り料金より安いじゃん!!

海軍司令部壕の入口は丘の上にあるのですが、そのすぐそばまでタクシーで行けたので体力を温存できました。

太平洋戦争末期の沖縄戦。
海軍の施設であった小禄飛行場(現在の那覇空港)の防衛のために作られた施設を元に、海軍部隊の司令室として機能した地下壕が、この海軍司令部壕です。
那覇市と豊見城市の境界に位置する丘の上に作られています。

海軍壕・戦死者の碑

ここで4000名の海軍将兵が戦死したとされています。
丘の頂上近くには慰霊碑が。
軍艦のマストを思わせる柱が印象的。

海軍壕・ビジターセンター

そのすぐ近くに海軍司令部壕ビジターセンターがあります。
平たい円筒形のガラス張りの建物です。

海軍壕・ビジターセンター内部

ビジターセンター1階は、下り階段・下りエレベータの他はがらんどう。
このスペースではいろいろな企画展示をするようになっているようです。
僕が行ったときは、沖縄戦時の子供達をテーマにした写真が展示されていました。

ここで展示されているのは、主に米軍側が保護した子供達を撮影したものでした。
…そのためか、後で見ることになる悲惨な写真に比べるとだいぶトーンが明るかったかな。
米兵が子供にお菓子を与えるシーンや、廃墟の中から子供が救出されるシーンなど、戦争の中にあって『救われた』場面が並んでいたように思いました。

〜〜

地下に下りると、そこにチケット売り場や資料室があります。

まずは資料室。
大田少将(当時)の遺品、沖縄戦の年表などが展示されています。

海軍壕・資料室

当時の海軍陸戦隊の武器もありました。
旧式の銃に並んで展示されているのは、木の枝にナイフ(銃剣?)を縛り付けただけの『槍』。

…そんなもので、重火器を装備した米軍に勝てるわけがないのですが。

〜〜

いよいよ壕の中へ。

海軍壕・階段

殺風景な階段を下りていきます。
僕が行ったときには外よりも気温が低くひんやりと涼しく感じらたのですが、沖縄戦当時にはこの中に4000人の将兵が立て籠もっていたので温度も上がり空気も悪かったのではないかと思います。

海軍壕・作戦室

最初に入ったのが【作戦室】。
壁や天井は漆喰で固められて比較的きれいです。
でも何人もの人間が入って会議をするには狭苦しい感じです。

海軍壕・幕僚室

作戦室と短い通路で繋がっている【幕僚室】。
ここも壁は漆喰塗りです。

正面の壁に多数の黒い点があるのが判ると思いますが、これは単なる汚れではなく

幕僚たちが自決した時に用いた手榴弾の破片の跡

だそうです。
この部屋、まさに写真に写っている場所で人命が失われたのですね…。

海軍壕・通路

通路はこんな感じ。
漆喰またはコンクリート塗りが天井だけになってしまいました。
壁は荒く急造のトンネルであることが感じられます。

海軍壕・壁のツルハシ跡

別の通路。
ツルハシの跡が生々しく、また通路自体も狭く曲がりくねっています。

〜〜

順路に沿っていくと【幕僚室】の次は【暗号室】。
壁は削ったままの荒々しい物で、形も『だいたい長方形』。
すべての部屋をきっちり作っている余裕がなかったということでしょうか。

さらにその先は【医療室】。
そこはもはや部屋として独立しておらず、通路の壁に数畳程度の広さのくぼみができているだけです

その次に【発電室】。
これも部屋と言うよりは壁のくぼみです。

そして下士官室。
最大4000人もいたはずなのに、下士官室の収容人数はせいぜい数十人程度。
他の兵員は通路などに寝泊まりしていたのでしょうか。

以上、暗すぎて写真がうまく撮れていませんでした…。

〜〜

海軍壕・ツルハシ

当時使われていたツルハシ。
戦時中の日本に機械式の掘削機などがあるはずもなく、これだけの規模のトンネルを全て人力で掘ってしまったのですね。

海軍壕・司令室

司令官室。幕僚室と主通路を挟んで向かい、通路より若干高い位置に作られています。
海軍部隊の司令官、大田少将はこの部屋で自決したそうです。

海軍壕・非常口

外へ通じる通路の1つ。
現在は非常口になっていますが、当時はここから兵員たちが武器らしい武器すらなく絶望的な『出撃』をしていったそうです。

〜〜

ところで、この数日後に【ひめゆりの塔】や【平和祈念資料館】を見学して思ったのですが…
この【海軍司令部壕】だけは、軍に対する態度がちょっと違うように思いました。

他の戦跡での展示解説が、
『沖縄県民が戦争に巻き込こまれ大きな犠牲を出したのは軍の責任』
として『軍=悪役』と捉えているのに対して、
この【海軍司令部壕】だけは軍に対して好意的…とまではいかなくても、少なくとも同情的のように感じられました。

その理由は見学コース最後のパネルで判りました。

陸軍司令部の最後の命令が

『最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ』…要するに『最後の一人まで戦って死ね』

だったのに対し、
海軍の大田少将は自決直前、海軍省宛に

『沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ』

という電文を送信したということ。
このことから、沖縄では海軍の方がずっと評価が高いそうです。

#ということで海軍に比べてイメージの悪い陸軍ですが
#(旧日本軍の『悪い』イメージはだいたい陸軍由来の物です)
#先の陸軍司令部の命令については、司令官の牛島中将が出した物ではなく、
#牛島司令官はむしろ住民を疎開させる方法を考えていたという説もあります。
#上に書いたのはあくまで『一般的に知られている説』であって、
#個々の証言には陸軍兵士も理性的な行動をしていたとするものもあります。

〜〜

というわけで、沖縄本島旅行の最初の訪問地としては非常に暗い、重い場所でしたが、
見に来てよかったと思いました。

海軍壕・展望台

現在はこの丘全体が公園として整備されています。
頂上には展望台が。

海軍壕・頂上からの眺め

頂上からみた市街地。

〜〜

タクシーでゆいレールの駅に戻り、次の目的地へ。

〜〜

【旧海軍司令部壕】
http://kaigungou.ocvb.or.jp/
http://kankou.e-pon.jp/kaigungou/
豊見城市豊見城236
098-850-4055(旧海軍司令部壕事業所)
年中無休
開館時間:8:30-17:30(7-9月)、8:00-17:00(10-6月)
入場料金:大人420円(ゆいレールのフリー乗車券提示で350円)
見学所要時間:30分〜ゆっくり見るなら60分〜

タグ:沖縄県 戦争
posted by MAX CARTER at 10:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 史跡
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
・サイズの大きな写真は複数の写真を並べて合成したものなので、接続部で色合いが違う・わずかなズレが生じている・全体的に湾曲していることがあります。
・このブログは個人が旅行・見学の感想を書いているものであり、記事中に登場する各施設の公式なコンテンツではないことはもちろん、記事中に明記されていない限り各施設を運営する団体・職員とも一切関係ありません。
・価格、所要時間、展示内容その他記事中で紹介されている事項は変更されている場合もあります。必ず各施設の公式サイト等でご確認の上、お出かけください。
・本ブログ記事の情報を利用したことにより直接的あるいは間接的な損害が発生したとしても、当ブログ著者・サイト管理者は一切責任を負いません。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。